母の病気・癌で気づけたこと(YMさん)2017.9
     

私は基礎科前期と後期を受講させて頂きました。

去年の今頃はマクロビオティックってなに?宗教的な食事?と言葉の意味もわからず、自分とは全く違う世界だと思っていました。

しかし、昨年の11月に母から胃もたれが続くため検査入院をしてくると報告を受け、検査結果をきいてから長寿命食の造語であるマクロビオティックに強い関心を持つようになりました。

母が医師から告げられた病状は進行の早い末期の胃がんであること。肝臓には広範囲に腫瘍があり、リンパにも転移しているため手術は不可能であること。治療は抗がん剤での延命治療しか方法はありませんと余命宣告を受けました。

母の父、私の祖父も同じ胃がんで63歳という若さで亡くなったことが鮮明に蘇りました。

突然の母の余命宣告で心がついていかないなか、幸運にも1人暮らしをしていたマンションの大家さんが産婦人科の医師であり、以前は外科をされていて、がん患者も受け持っていた経験がありました。

私は藁にもすがる想いで母のことを相談させて頂きました。

その医師から食事療法のこと、枇杷の葉ローションの湿布、毎日20分の継続歩行や12回の入浴など家でできる治療の指導を受け、実家に帰るとすぐに実行に移しました。

玄米も勧めて頂いたものを取り寄せ、冷蔵庫から添加物が入っているものは全部捨てました。

有機や無添加のものを買いそろへ、癌に良い食材を調べては自分なりに工夫をして料理を作りました。

しかし、抗がん剤により味覚障害や食欲不振の母にとっては日々の食事はストレスであり、

ある日「何を食べても美味しいと感じない。料理を見ているだけでお腹がいっぱいになる。食卓に座ることが本当に本当に苦痛」と泣きながら訴えられた時は自分が作る料理が母を苦しめているのかとショックを受け、何を作っていったらいいのか全くわからなくなりました。

そんな時に母の友人が岡田先生の教室に通われ、美味しい料理と体質改善によって自身の病気が治ったと伺い

はじめて岡田先生の料理教室を知りました。

先生のことを調べ入会の決めてとなったのはある言葉との出会いでした。

自分だけ仕合せに、相手にも自由を。そして人は人を救えないという言葉です

それまでの私は自分の力で母を救いたいと病気を治すシナリオを描き、自分の考えを押し付け、母が望んでいない食事や、自分が良いと思ったことをやらない母に対してイライラしていました。

しかし、相手にも自由があり、相手の運命は変えられない。ましては救うとは神の領域であり人は人を救うことはできない。でも、食事で自分の身体を健康にし、運命を変えることはできる。まずは自分が健康になり仕合せになりなさい。という言葉は心にすっと入り肩の荷が下りました

恭子注:
このお嬢さんの若さで、この悟り、が理解できたということは、驚異的、びっくりです。
素晴らしいお嬢さんです。
そして、この賢く愛情豊かな方なので、よいお医者さんにも巡り会ったのでしょう。

そして岡田先生の教室に通い、将来癌や病気になるリスクを少しでも減らしたい。

65歳くらいまで生きたいと初めて自分の健康について考えるようになりました。

 

私は先生の教室に通ってから食事に対する考え方が180度変わりました

以前の食事は何を食べるか、いかに栄養を摂るかと摂り込むことしか考えていなかったのです。

一例の献立

朝:コーヒー、季節の果物、食パン、ジャム

昼:外食 ラーメン定食 ラーメン、チャーハン、サラダ、杏仁豆腐、烏龍茶

間食:チョコレート、おせんべい

夜:白米、みそ汁、唐揚げ、豆腐、ゆで野菜(ブロッコリーやほうれん草)

週に2回は飲み会があり、3?7杯ビールを呑んでいました。

こうゆう食事をしていた頃はとにかく朝に弱く、疲れやすく、身体がいつもむくんでいる状態でした。

排泄も時間や日数がバラバラで、便秘の時は顔中にニキビができ身体が重く、だるかったのです。

 

そこから岡田先生のマクロの食事に切り替え、まず摂り込むことよりも俳毒すること。

出してから摂り込む食事に変えました

現在の一例の献立

朝:梅醤番茶

昼:手作りのお弁当 黒豆玄米ごはんとスープジャーでけんちん汁を持参

  保温性の水筒に温かい番茶を入れる

夜:黒豆玄米ごはん、みそ汁、納豆、ほうれん草のおひたし、鰯の煮付け

 

この食事にしてからは毎日11時半にはお腹がぐーぐー鳴るようになりました。

恭子注:
私の教室に来て食事を買え始めると、皆さん、お腹がぐーぐー鳴るようになります。
恥ずかしがりますが、実は、腸が活発に健康に動くようになった、と言う印なのです。

お腹が鳴るのは中学校以来だったのです。

ほとんど毎日、午前中に大きい便りがくるようになりました。

それまでは時間が不規則であったり、旅行中は便秘がちで困っていました。

自分の身体の声をきけるようになりました

以前の私はお腹が減っていなくても時間になったから食べると自分の身体の声を全くきいていなかったのです。しかし今では少し体調がおかしいな、昨日は食べ過ぎて胃が疲れているなと感じたら迷わず食べない選択をします。
スイーツやお肉、パンや乳製品に対しても
我慢する気持ちからこれは必要ないよという身体の声に気づけます。

そして心の面でも自分の身体に集中するようになってからは、母に強要する気持ちがなくなり、お互いに穏やかな気持ちを持てるようになりました。

現在母は抗がん剤の治療をしていますが、腫瘍マーカーの数値はもう少しで平常値といったところまで下がり癌による痛みもまだありません。私は自分の身体にマクロの食事が合うと実感しているので続けていこうと思いますが、母はマクロの食事を摂らないと選択しました。生き方を強制することはできないとわかっているので、これからもその気持ちを尊重していこうと思います。

 

最後になりますが、私のなかで一番大きく変化したことは病気に対する考え方です。

以前は母の病気の話をすることに対してストレスや怒りの気持ちが強くありました。

しかし、私を含め病気の家族を支えている方や、ご自身に病気があり改善したいと思って通われている同期生の方々、そして岡田先生のおかげで病気に対して前向きに捉えられるようになりました。

病気は神様からのプレゼント。間違いを正すチャンスであり、病気があったおかげで私は強くなれたという生き方をしなくてはいけないですよ。というお話を伺ってからは、今の経験をひとつも無駄にしてはいけないと思うようになりました。

私は母が病気になったことがきっかけで、自分の人生や健康を見直すことができた

岡田先生や同期生の方々と出会うことができた。

自分が運がいい人間であると気づくことができた

そして将来、恭子先生の教室のような料理教室をひらきたいという夢ができました。

この気持ちを忘れずに生きていく糧にしていきたいです。

 

岡田先生、同期生の方々、本当にありがとうございました。

少し教室を離れますが、またいつか先生のお教室に通えることができたらと思っております。

これからもよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 


 恭子から一言

あなたは、エライ!

この若さで、この悟り!

涙を流してレポートを読ませていただきました。

特に、ひとはひとを救えない、と言う人生の神髄にまで、あなたはその若さで気がついたと言うことは、あなたは、天才です!

私が皆さんに伝えたい、仕合わせになっていただきたい、と言う真理をすべて、理解してくださいましたね。

このレポートの後日談で、

お母様と二人で、東北にご旅行に行ったそうです。

そして、私にレポートを褒められた、と言ったら、お母様が見たい、とおっしゃって、読んでいただいたそうです。

それから、お母様も、涙を流され心動き、食事も改善を始めたそうです。

真実のこころは、通じるのですね。

愛情の勝利ですね。


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癌、母の病気